2013年08月25日

9/29鼻唄とお月さんライブ

アーリーバード森ノ宮map_2.gifhanauta_again.jpg大阪さんくすホール地図.jpg9/29(日)鼻唄とお月さんライブ
http://www.hoyhoy-records.com/news/20120730.html

大阪玉造さんくすホール

2013年9月28日 中川イサト ☆ 村上律 / シバ / いとうたかお / ナカシオン
2013年9月29日中川イサト ☆ 西岡たかし / 大塚まさじ / 金森幸介

各日 前売:\4000 / 当日:\4500(入場定員100名)


♪いつまでも?ぼくはぁ? / 歌うことが好き?

2012年の秋。東京・国立のお店《はっぽん》で、大塚まさじはそううたっていた。
彼の横でギターを弾き、コーラスを加えていたのは中川イサトだった。
60歳を過ぎた男たちにとってはロマンティック過ぎる歌詞。しかし、それだけに、
胸の奥底にある一番やわらかいところに突き刺さる。特にその日は中川イサトの
低い声がその部分におき去りにされた。
『鼻唄とお月さん again』の開催を思いついたのはそのとき。
中川イサトの歌は、音楽は♪いつまでも?ロマンティックでピュア。色褪せるこ
とを知らない。40年近く前の(org)『鼻唄とお月さん』がなによりそれを証明
している。このレコード盤に針を落とすとき、その行為は、自分自身の心のなか
に針を落としているような錯覚に陥る。そこに刻まれた中川イサトの歌が、ギ
ターが、そして彼の友人たちの声が長い時間を経過しても、いつも新しい“なに
か”をわたしのなかに残してくれる。


金森幸介は言った。
「(他界した西岡恭蔵を除く)当時のメンバー全員が音楽をつづけている。これ
は奇跡だ!」と。


1975年、20代後半だった中川イサトは音楽を生業とする生活に区切りをつけよう
としていたという。そのことを思い止まらせたのが同年12月に神戸《サンダーハ
ウス》で開かれたこのイヴェントだった。
(org)『鼻唄とお月さん』は2日間にわたり開かれた。1日はレコード化された
内容。そしてもう1日はソーバッドレヴューを加えたセッション。そこでは中川
イサトがエレクトリック・ギターを持ち、金森幸介は「ダイアナ」を日本語でう
たっていた。


「もう(音楽を)辞めようと思っていた。あのコンサートがなかったら辞めてい
た」と中川イサトは明言する。そして、それはまるで昨日のことのような言い方
で。そうなってしまうのは、1975年当時の緊張感をいまだ彼は持ちつづけている
からなのだろう。継続して、つねに前へ進もうとする。この人に「もう充分です
よ」と、わたしは言えない。


『鼻唄とお月さん again』は同窓会なのかもしれないし、懐古趣味なのかもしれ
ない。
中川イサトは「今、やっとかないと‥‥」と冗談のようにも話している。けれど
も、ここにいるメンバーは金森幸介がいうように音楽をつづけ、今日もどこかで
うたい、新しい歌を書いている。中川イサトのギターはいつも変化に富み、そこ
からは緊張感を伴いながらもやわらかく美しい「歌」が流れだしている。
『鼻唄とお月さん again』は懐かしいだけではない。
『鼻唄とお月さん again』は音楽生活45年を目前とした中川イサトと彼の仲間た
ちとのセレブレーション。そしてそれはこの時代を、これ以降の時代を生き、
「歌」を愛している人たちとのものでもある。
posted by どもども at 05:41| Comment(0) | TrackBack(0) | メモメモφ(..)
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